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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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未来を守る力

ゴリアテの剣

GVOでもお馴染みの、謎の海洋民族『海の民』は、紀元前14〜11世紀頃にかけて、
アナトリア半島、エーゲ海、地中海東岸、エジプトにかけ猛威を振るいました。
ヒッタイトやミケーネ文明を滅ぼし、トロイ戦争においてもスパルタの遠征に影響を与えたという説があります。

『海の民』の起源は未だ不明ですが、ギリシャ周辺の複数の民族の集合体であるとみられています。
(同時期に東地中海の海洋交易で栄えたフェニキア人と、よく混同されますが、こちらはセム語派で、インド・ヨーロッパ語族である『海の民』とは別の民族です。)
この『海の民』を構成する民族の一つペリシテ人が、シリアの地中海沿岸にある都市国家ウガリットを滅ぼして、イスラエルにも侵攻してきました。

ペリシテ人は、イスラエルには無い鉄の武器を装備しており、イスラエルは劣勢に立たされます。さらに、ペリシテ人の中には、身長6.5アンマの巨人、ゴリアテがいました。
(アンマとは、旧約聖書で使われている単位で、1アンマ=45cmだそうです。)
これに対し、羊飼いの少年ダビデは、スリングから石を放ちゴリアテの額に命中させ、
昏倒したゴリアテから剣を奪って首を刎ねます。


ダビデ像写真は、エルサレム旧市街の要塞跡にあるダビデの銅像です。
足元にはゴリアテの首が転がり、右手には『ゴリアテの剣』が握られています。

当初、ここにはミケランジェロのダビデ像のレプリカが置かれる予定でしたが、
聖地に裸像を置くことへの反発があり、この像に変更されたそうです。


このクエストの前提に、『アイン・ジャールートの戦い』というクエストがあります。
石の記憶』で説明したように、アインとはアラビア語で泉という意味です。また、ジャールートとはゴリアテのアラビア語読みで、『アイン・ジャールート』とは、『ゴリアテの泉』という意味になります。
これはイスラエル北部に実際にある地名で、『アイン・ジャールートの戦い』とは、地名に因んで名付けられた、マルムーク朝とモンゴル軍との戦いのことです。
語呂がいいので使われたのだと思いますが、クエストは完全に創作でしたね…。
(この時、モンゴル軍を率いたのが、財宝探検家と史学家の転職クエスト『イル・ハン国の財宝』で
財宝を残したフラグです。)


ヨシュア以降、イスラエルは士師と呼ばれる指導者に導かれていましたが、この頃から、民が王政を望むようになります。
最後の士師となったサムエルは、神の啓示に従い、サウルという人物を王に擁立しますが、神の命令を果たせなかったサウルは加護を失ってしまいます。

ゴリアテを倒して英雄となったダビデは、このサウルに仕えることになりますが、サウルはダビデの名声を妬んで殺害しようとします。
ダビデは、命を狙われながらもペリシテ人と戦い続け、サウルを討つ機会があっても、神が選んだ人物であるサウルには、決して手を出さなかったそうです。
サウルがペリシテ人との戦いで命を落とすと、ダビデは、神託により士師サムエルから次代の王に任ぜられることになります。


ダビデの街王となったダビデは、イスラエルの首都を
エルサレムと定めました。

この時代の街の遺跡が、現在のエルサレム旧市街と、その東にあるオリーブ山の間のケデロン谷にあります。
エルサレム発祥の地であるこの遺跡は、
『ダビデの街』と呼ばれています。


ケデロン谷の斜面には夥しい数の墓があります。西側の『神殿の丘』の斜面はイスラム教徒の墓地、そして東側のオリーブ山の斜面はユダヤ教徒の墓地になっています。

ユダヤ教では、終末の日に、この谷に『紙の橋』と『鉄の橋』が架かり、人々は最後の審判を受けると言われています。信仰深い者は『紙の橋』を選びますが、目に見えるものしか信じない者は『鉄の橋』を選び、橋が崩れて谷に落ちるのです。

また、旧約聖書のゼカリヤ書には、『その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。』とあります。

昇天教会オリーブ山にユダヤ教徒の墓が多いのは、終末の日に蘇り、『紙の橋』を渡って、主と共にエルサレムに入る為。

『神殿の丘』にイスラム教徒の墓が多いのは、蘇ったユダヤ教徒にエルサレムを奪われることを阻止する為だそうです。

オリーブ山は、処刑された後に復活したキリストが、40日後に昇天した場所と言われ、山頂には昇天教会が建てられています。

ユダヤ教では主は未だ到来していませんが、新約聖書の解釈では主とはキリストで、終末の日に、
ここに復活すると信じられているのです。


自分を殺害しようとしたサウルを許したダビデは、まさに王の器と言えるでしょう。
しかし、英雄色を好むとでも言うのでしょうか?ダビデは、家臣ウリヤの妻バト・シェバを目に留め、不義の関係を結びます。
そして、それを隠す為に、戦場でウリヤを死に追いやり、バト・シェバを妻に娶ります。
神はこれを許さず、バト・シェバとの間に生まれた最初の子供は、生後すぐに病で亡くなります。そして、バト・シェバとの間に2番目に生まれたのがソロモンでした。


その後、ダビデは、息子アブサロムの叛乱により失脚します。
この時、アブサロムが招き入れた軍師は、バト・シェバの祖父アヒトフェルでした。
アヒトフェルは、王が代わったことを民衆に示す為、ダビデの後宮を奪うようアブサロムに勧めます。
これは、孫娘を奪われたアヒトフェルの復讐だったのか、それとも神の与えた罰だったのでしょうか?
ダビデは荒野に落ちますが、近隣の豪族に迎えられ、アブサロムの追撃軍を打ち破ってエルサレムに帰還します。


ダビデ亡き後、王位を巡る兄弟の争いに勝利したソロモンは、3代目の王位に就きます。
ソロモンは、エルサレム神殿を建設し、その至聖所に『契約の箱』を納め、イスラエルは最も反映した時代を迎えたのです。


旧約聖書の列王記によると、『シバの女王は、主の御名によりソロモン王の名声を伝え聞き、難問をもって彼を試みようと訪れた。』とあります。

ソロモン王は、美しく聡明なシバの女王マケダをいたく気に入りますが、マケダは側女を差し出して、自らは応じようとしませんでした。
そこでソロモン王は、マケダをもてなす宴で、料理の味付けを辛くし、さらに宴の開始を遅らせ、自分の館へ泊まらせます。そして、館の物には手を出してはならないとマケダに約束させます。
しかし、宴の料理で喉が渇いたマケダは、枕元の瓶に入っていた水を飲んでしまいます。
こうして、約束を守れなかったマケダは、その代償として、ソロモン王との間に、エチオピア初代皇帝となるメネリク1世をもうけることになる訳ですが、こういった逸話を聞くと、父親のダビデとイメージが重なりますね。
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