Plvs Vltra

大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
<< 未来を守る力 | ケープ | 不滅の星 >>

ケープ

ケープ

ケープタウン1652年に、オランダ東インド会社の補給基地として建設されたケープ植民地こと、現在のケープタウン。

GVOと同じく、テーブル湾に沿って港と街が造られ、街の南には切立った岩山テーブルマウンテンがそびえています。

テーブルマウンテンは滅多に晴れず、頂上に沿って薄っすら雲がかかっていることが多いのですが、それもまたキレイです。
この雲は、テーブルクロスと呼ばれているのですが、センスのいいネーミングですよね。

洋上から見るテーブルマウンテンは雄大で、ケープタウンの象徴といった感じです。
当時の航海者達は、この岩山を見ることで、ケープに到着したことを実感したのではないかと、ふと思いました。
晴れた日のテーブルマウンテンからの眺望もまた素晴しく、ありきたりな言葉ですが、
ここから大西洋を臨むと、地球は丸いと実感できました。


テーブル湾には、黒人用の刑務所として使われた小島、ロベン島が浮かんでいます。
アパルトヘイト廃止運動によって逮捕されたネルソン・マンデラ元大統領も、ここに収容されていたそうです。


キャッスル・オブ・グッドホープ街には、オランダ東インド会社の総督の居城、キャッスル・オブ・グッドホープが残っています。

1666〜1679年にかけて築城され、南部アフリカで最古の建造物と言われています。
城は正五角形の城壁と掘に囲まれていて、テーブルマウンテンから見ると、函館の五稜郭のようです。

同じく1679年に建てられた、スレイブロッジと呼ばれる、オランダ東インド会社の奴隷宿舎も残っていてます。
現在は博物館として利用されていますが、奴隷をつないだ足枷等、当時の名残りを見ることができます。


ヨハネスブルグGVOのケープでは、ダイヤモンドや砂金が扱われていますが、産出地は内陸にあるキンバリーやヨハネスブルグで、現在でも採掘が行われています。

ヨハネスブルグの郊外には、盛り砂の台地があるのですが、これらは金を採掘した際に出た廃棄物なんです。

風の強い日は、舞いあがって砂嵐になるのですが、GVOの採集ポイントも、こんなことになっているんでしょうね。^^;


世界で最も危険な街と言われるヨハネスブルグを訪れたのは、南アフリカ最大のタウンシップ、
ソウェトを見学するため。
タウンシップとは、アパルトヘイトで隔離された黒人居住区のことです。
もちろん個人では行けないので、滞在先の宿で現地の案内人を手配してもらいました。

ソウェトソウェトには、バスの廃材を使ったバラック小屋が建ち並んでいます。
電気は通っておらず、見学させて頂いた家では、カーバッテリーが使われていました。

それでも、マンデラ元大統領の出身地であり、南アフリカ最大の街ヨハネスブルグにあるソウェトは、地方のタウンシップに比べるとインフラが整備されている方です。
共有の上水道が通り、衛生面を考慮してプレハブのトイレも設置されていました。

南アフリカには、『金を稼ぎたかったらヨハネスブルグへ行け』という言葉があります。
大金を稼ぐことを夢見て地方から出てくるものの仕事は無く、犯罪に手を染めてしまうという人が後を絶たなかったのですが、FIFAワールドカップ2010の誘致で、労働の需要も生まれ、また警察の巡回も強化され、多少は治安も良くなってきました。
しかし、隣国ジンバブエから労働者が流入してきており、新たな摩擦もおこっています。

《治安について》
危険の目安は個人の主観によって様々です。
海外は怖い所だという先入観があれば、全てのことは危険に思えるでしょう。
例え安全な場所でも、運悪く被害に遭ってしまった人には、そこは危険な場所になりますし、
逆に、危険な場所でも、偶然、無事だったというだけで、安全だと錯覚してしまうこともあります。

ヨハネスブルグの治安は、悪いに違いはないですが、話が大きくなり過ぎているのが実際のところ。
注意して行動していれば、ある程度の危険は回避可能で、決して滞在できない場所ではありません。
それでも、被害に遭う時には遭うものなので、最後は自分の判断、自己責任になりますが…。
comments (0) | trackbacks (0) | 港・集落

Comments









      

Trackbacks

Trackback URL :