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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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プレステ・ジョアンの石柱

アクスムの石柱

アクスムの石柱1〜4世紀頃に造られたとみられる、花崗岩で出来たオベリスク。

かつては、64基の大オベリスクと、246基の小オベリスクがあったそうですが、
現在では、その多くが倒壊しています。

アクスム様式のオベリスクには、高層ビルを模したような窓や扉のレリーフがあります。
このレリーフが原因でオーパーツと言われていますが、
個人的には、『世界最古の摩天楼』と呼ばれ、日干し煉瓦で出来た5〜10階建ての住居が林立する、イエメンのサヌア旧市街がモデルになったのではないかと考えています。

アクスム王国の領土は、紅海を跨いだアラビア半島のイエメン一帯まで及びました。
当時、アラビア半島は、『乳香の道』と呼ばれ、乳香交易で栄えたイエメンは、
『幸福のアラビア』と詠われましたが、その富を狙う遊牧民の脅威にも晒されていました。
遊牧民の襲来に備え、サヌアの人々は住居を高層化していき、守りを固めたのです。

オベリスクのレリーフは、この高層建築をモチーフにしたのではないでしょうか?
GVOでは、レリーフの扉の中に入れますが、絶対にそんなことはありません!

今では、別の国になった両国ですが、意外な所で繋がっています。
エチオピア産のコーヒーはイエメンのモカ港を経由して出荷されることから、エチオピア産とイエメン産、双方のコーヒーがモカと呼ばれているんですよ。


ところで、『プレステ・ジョアンの国』の記事に載せた、『ラリベラの岩窟教会』の写真の窓と、アクスム様式のオベリスクの独特な形状が、同じであることに気づいた人は、いるでしょうか?
エチオピア正教の中心地が、アクスムからラリベラに移っていった後も、オベリスクは姿を変え、象徴として受け継がれていったんです。


南部諸民族アクスムの女性の多くは、額に十字架を入れ墨しています。
エチオピア北部はこの様に宗教色が強いですが、
南部は一変して少数民族のエリアになります。
下唇にお皿をはめたムルシ族は有名ですね。
エチオピアを南北に移動していると、別の国を旅行しているようで二度楽しめます。

右の写真はエチオピアの南部諸民族州で、
イギリスのNGOが開催したイベントの一幕です。

エチオピアには80を超える部族がいるのですが、その代表団を集めてお祭を開催し、祭のプログラムの一つとしてHIVの予防接種を行っているんです。

部族間で諍いが起きることもありますが、お祭では壁は存在しません。
多くの部族の音楽や踊り、衣装や料理等の伝統文化に触れることができ、貴重な経験ができました。
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