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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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アラビア航路の確保

アラビア半島

ここは、ワディ・ラムと呼ばれる砂漠地帯。
『アラビアのロレンス』の舞台になった場所でもあります。

ワディ・ラム車を手配してみると、やってきたのは荷台に座席が付いたトラック。
ドライバーを務めてくれたのは、アラビア半島の遊牧民ベドウィンの若者でした。

遊牧民族のベドウィンですが、最近は定住生活をする人が増えてきています。
しかし、遊牧生活の習慣が抜けないのか、家の外にテントを張って、そこで生活する
ベドウィンもいるんですよ。

遊牧生活を送っていたある日、先進国の都合で国境線が引かれ、
その時、産油国側と非産油国側のどちらに居たかで、裕福な生活をする人と、伝統的な生活をする人に分かれることになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。


この砂漠には、シリアの首都ダマスカスから、イスラム教の第二聖地メディナまで続く、ヒジャーズ鉄道が通っていました。
この巡礼鉄道は、第一聖地のメッカまで繋がれる予定でしたが、
オスマン帝国の兵站も担っていた為、第一次大戦中、ロレンスによって破壊され、現在は貨物列車しか通っていません。

メッカ巡礼はハッジと呼ばれ、イスラム教徒にとって人生の目標となっています。
明の航海者の鄭和(雲南地方出身の少数民族で、イスラム教徒)も、メッカ巡礼を志し、7度の航海で、自ら訪れることは出来ませんでしたが、最後の航海の際、艦隊の一部をメッカへ送ったといいます。

メッカを巡礼した人に話を聞いてみたところ、メッカに着いた途端、涙が溢れて止まらなくなったそうです。
感極まった訳ではなく、気付くと溢れていて、一緒に巡礼した家族もそうだったのだとか。

メッカは、玄関口となっているジェッダからバスで1時間程の所にありますが、メッカ手前の検問所に、各言語で、イスラム教徒以外の立ち入りを禁ず旨が書かれた看板があり、そこから先に進むことはできません。
どんな所なのか、イメージだけが膨らみます。


アラビア半島右の写真はベドウィンのテントです。
ドライバーの紹介でテントに入れてもらい、
シャイ(紅茶)をご馳走になりました。

この辺りはハエが多くて、シャイの中にも入ってしまいます。
しかし、ベドウィンの迷信では、ハエは片方の羽に毒があり、もう片方の羽に解毒作用があるので、そのまま飲んでも問題ないんだそうです。

インド原産のチャイ(紅茶)ですが、アラビア語ではシャイと言います。
日本語や中国語等、アジア地域ではチャ。英語ではティーで、その他の欧州地域ではテーと言うことが多いです。伝わっていく過程で、少しずつ変化していったんでしょうね。
こんな、ふとした発見も、旅行の楽しみの一つです。
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