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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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それは皇帝の山

ポトシ銀山

1545年に銀の鉱脈が発見され、その後、スズや、タングステンが発見されると、
ポトシ銀山は、Cerro Rico(スペイン語で『富の山』の意)と呼ばれるようになりました。


ポトシ銀山採掘には、インディヘナが強制的に従事させられ、過酷な労働で多くのインディヘナが命を落としました。

現在でも、生活苦から、鉱山で働く人は後を絶ちません。
鉱山での労働は、8時間3交代制で、日当は3ドル程度。
労働者達は、コカの葉の覚醒作用で疲労をごまかしながら働いていますが、粉塵で胸を悪くし、若くして亡くなる方が多いのだそうです。


旧国立造幣局左の写真は、旧国立造幣局。
1572年に建てられ、1773年に1度、再築されています。
現在では博物館として使用されており、館内には、当時、使用された、銀貨を刻印する機械などが展示されています。

当時、イスパニアの銀貨の多くは、この造幣局で造られていたのだそうです。

やがて、銀の鉱脈が枯れると、スペイン人は、この地を去っていきました。
街は寂れましたが、20世紀初頭に、スズや鉄鉱石の鉱脈が新たに発見され、再び活気を取り戻しつつあります。
日干し煉瓦の伝統的な住居の合間にコロニアル建築が残り、植民地時代の面影を感じることができます。
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神が降り立つ湖

チチカカ湖


アンデス山脈の中程、海抜3890mに位置する大きな湖です。
高標高の為、湖面から雲までが近く、それが湖を幻想的に見せています。

チチカカ湖は、ペルーとボリビアの両国に跨っており、その総面積は8300平方km。
フェリーも運行されていますが、この航路は世界最高所の路線なのだそうです。
クスコからチチカカ湖畔の街プーノを結ぶ鉄道も、世界最高所の路線でしたが、2006年に中国青海省とチベットを結ぶ青蔵鉄道が開通し、記録を塗り替えられています。

こんな高所にありながら、GVOでは洋上から視認できてしまいます…。
もう少し考えてクエストを作って欲しいものです。


チチカカ湖にある太陽の島は、インカ帝国の初代皇帝マンコ・カパックと、妹のママ・オクリョが降り立った地だという伝説があります。
湖畔には、インカ帝国の前身となったティワナク文化の遺跡があります。
ティワナクでは、発見物の説明文にもある太陽神ヴィラコチャが信仰されており、インカ帝国の宗教観は、この影響を受けたのでしょう。
また、ティワナク遺跡には、ナイフでスライスしたような、滑らかな壁面の石造建築が多く遺されており、インカの石組み技術の礎があったことがよくわかります。
このクエストが前提になっている『湖に降り立つ神』の発見物『ヴィラコチャのレリーフ』は、ティワナク遺跡にある太陽の門に彫られています。


国境チチカカ湖を上空から見ると、ウサギを狩るピューマのような形をしています。

ティキーナ湖峡を挟んで、西側がピューマ、東側がウサギとなるのですが、
西側にあたるペルーの人達は、『ペルーがピューマで、ボリビアはウサギ』と、ボリビアを揶揄しています。

ケチュア語で、『ティティ』はピューマ、
『カカ』は石を意味し、チチカカは『ピューマの石』という意味になるのですが、
ピューマとウサギの話が元になり、『カカ』がウサギという意味でも使われるようになったのだとか。
口の悪い人は、『カカ』をスペイン語で訳し、ボリビアのことを『糞』と言うそうです。^^;

対して、ボリビアでは、『チチカカ湖で最も需要な太陽の島は、ボリビア側にある』と言って、張り合っているのだそうです。
チチカカ湖を挟んで、対抗意識があるんですね。


ウロス諸島チチカカ湖上では、トトラ葦で造られた浮島ウロス諸島に、ウロウロ族という漁民が暮らしています。

浮島は元々、漁に使われていた物でしたが、イスパニア侵略の折、ここへ落ち延び、以来500年間に渡り、この浮島で生活が営まれているのです。

葦は無数に群生しており、島が沈んでくると、新たに葦を引き抜いて上に積み重ねることで、島を維持しているそうです。
以前は、島が、風に流されてしまうことも多かったそうですが、現在では、碇を降ろして島を固定しています。
島は、家畜も放せる大きな物から、一世帯だけが暮らす小さな物まで様々です。
中には学校用の島もあり、子供達は船で通学していました。

トトラ葦は、島だけでなく、あらゆる物の材料に使われています。
家屋、家畜用の柵、魚を焼く為の釜まで葦で作られていました。
葦の釜に、どうして火が燃え移らないのか不思議ですよね。


トトラ葦の船葦の造形で最も感心させられたのは船。
葦を器用に編みこんで、かなりしっかりした船が造られており、神聖な動物ピューマを象った船首まで、葦で造られていました。

どういう経緯で伝わったのか、この葦の船は、遥か麓のペルー沿岸部でも漁に使われています。
太平洋の荒波にも耐えられる頑丈さがあるようです。


ボリビアでは、コカの生産が盛んですが、コカインの原料にもなる為、生産量を調整するようアメリカから圧力をかけられています。
政府はこれに恭順する姿勢なのですが、他に産業も無く、コカの生産農家にとっては死活問題になる為、度々、ストライキが起こります。

ストライキは、道路を石塁で封鎖し、沿道から火炎瓶や石を、車に投げつけるというもの。
ペルーとボリビアの開かれた国境は、チチカカ湖畔に2箇所あるのみ。
これを封鎖されることは大きな痛手となります。

チチカカ湖畔旅行中、これに遭遇してしまい、前を走っていた車が、窓ガラスを割られてしまいました。
農民は、人には危害を加えないので、一旦、バスを降りて、封鎖されているエリアは歩いて通過することで事なきを得ました。

写真は、農民を追うボリビアの軍隊。
(内陸国のボリビアでは、水軍基地もチチカカ湖にあるんです。)

物々しい光景ですが、軍人は、徴兵制により入隊した、あどけない少年兵が殆ど。
この後、バスに同乗して護衛してくれたのですが、お礼に食料をあげるのが慣習になっているそうで、パンを一つ差し上げました。軍隊の食事は貧しいのか、顔を綻ばせて喜んでいました。
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新大陸西岸の巨大山脈

アンデス山脈

写真はボリビアの首都ラパス(スペイン語で平和の意)。
国名は、南米独立の英雄シモン・ボリーバルに由来しています。
かつては海に接する国でしたが、チリに沿岸部を占領され内陸国となってしまいました。
チリが縦長なのは、こんな理由もあったんです。

ラパスボリビアの人口比率は、ケチュア族や、アイマラ族などのインディヘナ(先住民)が55%、メスティーソ(混血)が32%。
チリは、スペイン系が75%、その他欧州系が20%を占めます。

ここでも、過ごしやすい沿岸部に入植者が暮らし、先住民が高地に追いやられる構図になっているんですね。

(クリストバル・コロンの勘違いによって付けられた、南米先住民を指すインディオという言葉は、蔑称の意味合いが強く、通常はインディヘナを使います。
響きが似ていますが、こちらはラテン語で先住民という意味です。)


ラパスは世界最高地にある首都で、標高は3600〜4200m。
(FIFAが国際試合を禁止にして話題になりましたね。)
航空機で訪れると、高度順応ができないので大変かもしれません。
空気が薄いと酒酔いしやすくなるので、そちらも注意が必要です。
覚醒作用による症状緩和で、高山病にはコカ茶が良いとされています。
コカインの原料にもなっているコカですが、アンデスでは広く栽培されているんですよ。

アンデスの街の多くは、谷に造られています。
谷間が中心地となり、山の上へ行くほど低所得者の暮らすエリアとなっています。
これは、高標高のアンデスならではの特徴で、空気の濃い低地ほど地価が高くなるからなんです。

上の写真で、街の後方に見えるのは、標高6400mのイリマニ山です。
高地ならではの光景で、この辺りで、雷を上から見ることができました。
(谷の上からの眺望は最高ですが、スラムを通ることになるので注意が必要です。
南米では、後ろから頚動脈を絞め、気絶させてから金品を奪う、首絞め強盗という手口の犯罪が多いんです。)


アンデス山脈アンデス山脈の東側はアマゾン熱帯雨林ですが、西側は乾燥地帯になっています。
しかし、アンデスの雪解け水により、水不足になることはありません。

また、海から霧がたちこめる為、沿岸部の一定の標高までは、霧の水分により、乾燥に強い植物が育っています。

南北7500kmに及ぶアンデス山脈ですが幅は狭く、特にチリ北部では平野部がなく、海岸からすぐ急斜面になっています。
ここを東西に移動すると、急激な標高の変化による気圧差で、ペットボトルなどはグチャグチャになります。
高地へ移動した際は、歯磨き粉にも気を付けなければなりません!
チューブの中の空気が膨張し、蓋を開けた瞬間に粉が飛び出して止らなくなるんです。


アンデスは、太平洋プレートと南米大陸がぶつかり隆起してできた山脈です。
その為、地震が多い地域でもあり、旅行中に、日本まで津波が届いた2001年のペルー沖地震に遭遇してしまいました。><
ヒマラヤ山脈と同じくかつては海。塩湖も多くあり、貝の化石も見つかります。
ビーグル号での航海中、ここを調査したチャールズ・ダーウィンは地質学原理に確信を持ち、それが進化論のきっかけになったそうです。


船長付きの神学者としてビークル号に乗船したダーウィンでしたが、皮肉にも進化論は、神が創造主ではないという学説。
進化論が世に認められると、敬虔なキリスト教徒であった船長のフィッツロイは、ダーウィンを航海に同行させたことを悔いて拳銃自殺したそうです。
ダーウィンは、南米西岸を北上する際に採集した複数の小鳥に、地域ごとの僅かな違いがあることに気づき、進化論に至ったそうです。
しかし、採集の記録を付けていなかったので、どの小鳥をどの地域で採集したか判らなくなっており、推測による部分も多かったようです。
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書きかけの地図 - ナイル川

ナイル川

世界最長の川と思われていたナイル川ですが、アマゾン川に新しい源流が見つかり、
現在では逆転されてしまったそうです。
ナイル川は、上流で白ナイルと青ナイルに分岐しており、白ナイルはウガンダのヴィクトリア湖、青ナイルはエチオピアのタナ湖を水源としています。


ナイル川写真は、ナイル川と伝統船のフルーカ。
ルクソールやアスワンでは、観光用に現代の素材で造られた船体のフルーカがあり、
個人旅行の場合は、交渉しないとぼったくられますが、乗せてもらうことができます。

拡張パックの発表会で、GVOのプロデューサーが、この船に乗ったことがあると言っていましたが、船種をダウと勘違いしていましたね。^^;


ナイル川流域砂漠の国エジプトですが、ナイル川の氾濫により肥沃な黒土が下流に運ばれ、ナイル川流域は稲作に適した土地になりました。

エジプト米は、日本米やカリフォルニア米と同じ短粒種ですが、残念ながら、少しパサパサしていました。


ナイル川流域は運河が発達していて、スエズ運河とナイル川を結ぶ運河もあります。
また、アスワン・ハイ・ダムから、遥か西方のリビア砂漠に運河をひく緑化事業も進行中です。(トシュカ・プロジェクト。ムバラク大統領のピラミッドとも言われる。)
実はスエズ運河と同じく、この運河も古代エジプトの時代に存在していたそうです。

アスワン・ハイ・ダムアスワン・ハイ・ダムは、ドイツとソビエト連邦の協力によって1970年に完成しました。

これは、毎夏おこるナイル川の氾濫をコントロールし、農業用水の安定化に加え、水力発電まで行えるという、アスワン・ダムでの不足を補う夢のプロジェクトだったんです。

これによって全長500km、琵琶湖の7.5倍の面積を誇る人口湖ナセル湖(当時のエジプト大統領で、アスワン・ハイ・ダムの建設をすすめたナセル大統領の名前が由来)が誕生しました。
ダムの完成で洪水は無くなりましたが、その反面、土壌に塩分が溜まるようになり塩害が発生しました。
土地は痩せる一方で、その為に化学肥料が必要になりましたが、肥料作りに必要な電力が、ダムの発電量を上回るという皮肉な結果になりました。
また、塩害は遺跡群にも深刻な被害を及ぼしています。

さらに、晴天率100%だったこの地域に、雲が発生し、降雨も観測されるなど、気候にまで影響を及ぼしています。
公益事業は素晴しいことですが、人間がどこまで自然に手を加えていいものか?
トシュカ・プロジェクトが裏目に出ないことを祈ります。
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紅い海

紅海

紅海は、グレート・リフト・ヴァレーと呼ばれる大地溝帯によって形成されています。
この大地溝帯は、ヨルダン渓谷(世界最低地の死海周辺)から始まり、南部アフリカまで達しています。
地球の裂け目とも呼ばれており、いずれ、ここから、アフリカ大陸は分断されるそうです。
紅海も、この裂け目に沿って、マッサワ辺りから南へ延びることになるのでしょう。


『紅海の透明度を守る海峡』というクエストがありますが、事実、紅海は透明度が高く、
ダイビングのスポットとしても有名です。
紅海は、ペルシャ湾と並び、世界で最も塩分濃度の高い海です。
この地域は、海へ流入する河川や、降雨量が少なく、また高温乾燥地帯で海水の蒸発量が多い為、こうなるのです。
浮力も大きくなる為、ダイビングで付けるウェイトも、通常の物より大型でした。


紅海は、シナイ半島によって、スエズ湾とアカバ湾の二股に別れています。
西側のスエズ湾は、スエズ運河の出口。東側のアカバ湾は、エジプト、イスラエル、ヨルダン、サウジアラビアの4ヵ国の国境になっています。

中東からエジプトへは、イスラエルを経由する陸路がありますが、この時は、ヨルダンのアカバ港から、海路でエジプトのシナイ半島へ入りました。
エジプトの出入国では、空路だと飛行機、海路だと船の形をしたスタンプがパスポートに押印され、いい記念になります。
ただし、ビザは切手タイプで、入国管理局職員の唾で貼られてしまいます…。


紅海写真は、シナイ半島のダハブという街。
海の色の淡い部分は珊瑚礁で、濃い部分との境はドロップオフになっています。
対岸にうっすら見えているのはアラビア半島(サウジアラビア)です。

この辺りは、ダイビングに訪れるイスラエル人観光客を標的に、爆弾テロも起きているので注意が必要です。
バスで移動中、何度か検問がありましたが、爆発物のチェックは、なんとダウンジング。
磁力や電磁波に反応することがあるそうですが、効果の程はどうなのでしょう?


シナイ半島にあるシナイ山頂は、エジプトから脱出したモーゼが、神から十戒を授かった場所です。
ということは、モーゼが割った海は、紅海でもスエズ湾ということになりますね。

GVOでは、マッサワ郊外にシナイ砂漠旅団というNPCがいますが、地名が付いてるNPCを別の場所に出すとは…。中国に忍者がいるようなものですね。
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