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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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アフリカの南端

喜望峰

ポルトガル語で、Cabo da Boa Esperanca、英語でも、Cape of Good Hopeなので、直訳すると希望峰ですが、なぜか喜望峰で定着しています。

ケープ半島は、先端で二股に分かれていて、西側の岬が喜望峰、東側はケープポイントと呼ばれています。
喜望峰の西側の崖下には舗装道路が造られていて、車で喜望峰の先端近くまで行くことができるのですが、この時は、喜望峰がアフリカ縦断旅行のゴールだったので、簡単に着いてしまうのも味気ない。
崖の上はトレッキングコースになっているので、歩いて岬の先端まで行くことにしました。
観光地の喜望峰ですが、歩いて行く人は他におらず、誰にも邪魔されず感傷に浸りながら喜望峰に到達することができました。

喜望峰喜望峰は、アフリカ大陸の南西端ですが、最南端ではありません。
『真の最南端』というクエストにあるように、最南端は、喜望峰から200km程南東にあるアグラス岬です。

GVOではアガラス岬となっていますが、
ポルトガル語で針という意味のアグラス(agulhas)が正解。


1485年、ベニン王国を訪れた使節が、ベニン王から『奥地に、真鍮の十字架を崇拝する国がある』と聞かされます。
この報告を聞いたポルトガル王ジョアン2世は、アフリカに『プレステ・ジョアンの国』があるという確信を深め、トゥンブクトゥをはじめ、西アフリカの内陸を調査させました。
それと同時に、バルトロメウ・ディアスに、アフリカ南方の調査を命じ、これが喜望峰発見へとつながったのです。

地球球体説は、古代ギリシャの頃から唱えられていましたが、中世に忘れ去られ、
この時代は、海の果ては滝になっていると考えられていました。
アフリカに至っては、気温が高く、人々の肌が黒いことから、南下すると焼け焦げてしまうと信じられていたので、乗組員は不安と戦いながらの航海だったでしょう。

ディアスは、ウォルビス湾(GVOのカリビブ)で補給をしてから、さらに南下しますが、嵐に巻き込まれ視界を失います。
嵐が去った後、陸地を求め東へ進路をとりますが、一向に陸地は見えてきません。
そこで北上してみたところ陸地が現れ、アフリカ大陸の南端を越えていたことに気づいたといいます。

ディアス博物館この時、ディアスが上陸したのが、アグラス岬から200km程東にある、モッセル湾という入江です。
この港は、これ以降、インド航路の補給港として使用されるようになります。

ディアスは、さらに航海を続けようとしますが、船員達の反対により引き返すことになります。
そして、その帰路に、アグラス岬と喜望峰を洋上から発見しています。


モッセル湾には、ディアスが水を調達したという泉が現在も残り、またディアス博物館も建てられています。
ディアス博物館には、ディアスのキャラベル船のレプリカが展示されているのですが、
これは、ディアスのアフリカ南端到達500周年を記念して、当時の航海を再現し、リスボンから回航してきた船なんですよ。


喜望峰発見より9年後、ディアスはヴァスコ・ダ・ガマの艦隊に編入され、カーボヴェルデまで先導しています。
この航海で、ガマはインド航路を開拓する訳ですが、先の航海で引き返さざるを得なかったディアスの胸中は、いかなるものだったのでしょうか?

インド洋のモンスーンを利用した航路は、アラブ人の間で古くから使われており、ガマの航路開拓は欧州人としてのものでした。
ガマは、マリンディの王から、イブン・マージドというアラブ人を紹介され、このマージドの案内によってカリカットに至っています。
しかし、これによって、アラブ人はインド航路の利権をポルトガルに奪われてしまいます。

GVOのザンジバルに、元老マージドというNPCがいますが、これがイブン・マージドなんでしょうか?
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