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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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カカドゥ

カカドゥ

カカドゥ国立公園は四国とほぼ同じ面積。
熱帯ジャングルに、クロコダイル、野鳥、巨大な蟻塚、古代の岩絵が残り、文化・自然の両方を満たした複合遺産に指定されています。
また、この辺りは、UFOの多発地帯としても有名です。本当に出るんですよ!


カカドゥ国立公園カカドゥ国立公園や、ウルル・カタジュタ国立公園を擁するノーザンテリトリーは未だ準州で、10年程前に自治権を得たばかりです。

街と街の間隔は100km以上、地図に街として掲載されている場所に、ガソリンスタンドがポツンと一軒あるだけというのも珍しくありません。

乾季には、乾燥と高温から、ブッシュファイヤーと呼ばれる自然発火が頻繁に起こるような、厳しい自然環境の元にありますが、最もオーストラリアらしさを感じられる地域です。


実際のカカドゥには港はなく、そこから100km程西の入江にあるダーウィンという街がGVOのカカドゥにあたります。
(ビーグル号が上陸した際、先の航海の乗組員チャールズ・ダーウィンに因んで命名されますが、ダーウィン自身は訪れていません。)
ダーウィンは、この準州の州都にして最大の街ですが、アウトバックのノーザンテリトリーですから、最大と言ってもこじんまりとした田舎町です。

街の中心部にあるモールには、大陸縦断を達成した探検家マクドゥオール・スチュアートの像が建っています。
この偉業を称え、南オーストラリア州の州都アデレードとダーウィンを結ぶ大陸縦断道路は、スチュアート・ハイウェイと名付けられています。
同時期に大陸縦断を競ったバーク隊は、南極点到達をアムンセン隊と競ったスコット隊と同様に悲劇に見舞われます。
この物語は本当にドラマチックなので興味のある方は調べてみてください。お勧めです。
(2003年には、大陸縦断鉄道も開通し、週2便運行しています。)


ダーウィン戦争博物館第二次大戦で、オーストラリアは日本の攻撃を受け、北部のダーウィンは最前線となった為、度重なる空襲で壊滅的な被害を被りました。
その為、反日感情を持った人も多く、戦争ドキュメント番組が放送された翌日などは、生卵を投げつけられることもあります。
オーストラリアでは、大きな街には必ず戦争慰霊碑があり、忘れられない傷となっているのです。

日本に限りませんが、自国の侵略の歴史を詳しく教育する国はありませんから、このことを知らない日本人が殆どだと思います。
海外渡航の際は、こういった歴史認識や文化・宗教についても予習して欲しいと思います。


先住民アボリジニの集落が多いことから、この辺りは、アボリジニの故郷と呼ばれますが、かつては東海岸の沿岸部にもアボリジニは暮らしていました。
入植者に土地を追われ、過酷な環境で暮らさざるを得なかったのです。

後にオーストラリア政府は、懐柔政策へ転換し、アボリジニに酒を与えましたが、
飲酒の習慣の無かったアボリジニは、その多くがアルコール中毒になりました。

現在、政府は、謝罪として、生活保護の支給や、アボリジニ居住地域へのプレハブ建設等を行っています。
しかし、この施策は、アボリジニを生活保護へ依存させてしまうという結果となってしまいました。
また、伝統的な生活を送るアボリジニの多くは野外で暮らしている為、プレハブの住居は使用されることなく、そのまま放置されているようです。
都市部で暮らすアボリジニもいますが、生活保護とアルコールで荒んだ生活を送ることが多く、白人との摩擦を、さらに大きなものにしています。
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