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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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小さな宗教画の地図

イコン

イコンとはラテン語でイメージを意味する言葉です。
宗教画の中でも、特に正教会の聖像画(フレスコ画やモザイク画、レリーフ等も含む)を指します。

ユダヤ教では偶像崇拝を禁じていて、その流れを汲む初期のキリスト教やイスラム教でも同様に禁じられました。
そんな中、正教会では、信仰の対象は絵画そのものではなく、その中に描かれた原像であるとし、正教徒によって製作された物のみ、イコンとして認めるとしました。


聖誕教会写真は、パレスチナ自治区ベツレヘムにある聖誕教会の地下洞窟。
キリストが誕生したとされる場所です。

祭壇の中や周りは、イコンで飾られています。
この教会のイコンは、6世紀頃の物。

シナイ山(モーゼが神から十戒を授かったとされる山)に建てられた、聖カタリナ修道院のイコンと並び、
現存する世界最古のイコンであると言われています。


イコンはルネサンス期に描かれた宗教画と違い、独特の趣がありますよね。
エチオピア正教のイコンはデフォルメされていて、天使や聖人が黒人として描かれることもあります。
クリスマスカードのイラストも、同じタッチになっていて、ちょうどクリスマス前後に滞在していたので、記念に1枚、買っておきました。


エチオピア正教には、聖人の記念日というものがあり、記念日の前には長期間に渡って断食が行われます。
また、その聖人の名前を冠した教会では、記念日に特別なミサが行われます。
これは他の宗派には無い習慣で、エチオピア正教の大きな特徴です。

イコンアクスムにある『シオンの聖マリア教会』を訪れた日が、偶然、聖ガブリエルの記念日だったことで、
『貴方が今日、訪れたのは聖ガブリエルのお導きです。』と言われ、特別に1000年程前の聖書を見せてもらうことができました。

この聖書のイコンは、植物や卵を使った特殊な彩色法が使われているそうで、時代を感じさせない色鮮やかさでした。


ベツレヘムの聖誕教会では、12月24日のクリスマスミサが世界中に中継されます。
キリストが誕生したのは、紀元前4〜6年の12月25日とされています。
しかし、それに関する記述は、聖書には一切無く、ギリシャ正教では1月6日、エチオピア正教では1月7日、アルメニア教会では1月18日と、実は宗派によっては異なっているんですよ。
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プレステ・ジョアンの石柱

アクスムの石柱

アクスムの石柱1〜4世紀頃に造られたとみられる、花崗岩で出来たオベリスク。

かつては、64基の大オベリスクと、246基の小オベリスクがあったそうですが、
現在では、その多くが倒壊しています。

アクスム様式のオベリスクには、高層ビルを模したような窓や扉のレリーフがあります。
このレリーフが原因でオーパーツと言われていますが、
個人的には、『世界最古の摩天楼』と呼ばれ、日干し煉瓦で出来た5〜10階建ての住居が林立する、イエメンのサヌア旧市街がモデルになったのではないかと考えています。

アクスム王国の領土は、紅海を跨いだアラビア半島のイエメン一帯まで及びました。
当時、アラビア半島は、『乳香の道』と呼ばれ、乳香交易で栄えたイエメンは、
『幸福のアラビア』と詠われましたが、その富を狙う遊牧民の脅威にも晒されていました。
遊牧民の襲来に備え、サヌアの人々は住居を高層化していき、守りを固めたのです。

オベリスクのレリーフは、この高層建築をモチーフにしたのではないでしょうか?
GVOでは、レリーフの扉の中に入れますが、絶対にそんなことはありません!

今では、別の国になった両国ですが、意外な所で繋がっています。
エチオピア産のコーヒーはイエメンのモカ港を経由して出荷されることから、エチオピア産とイエメン産、双方のコーヒーがモカと呼ばれているんですよ。


ところで、『プレステ・ジョアンの国』の記事に載せた、『ラリベラの岩窟教会』の写真の窓と、アクスム様式のオベリスクの独特な形状が、同じであることに気づいた人は、いるでしょうか?
エチオピア正教の中心地が、アクスムからラリベラに移っていった後も、オベリスクは姿を変え、象徴として受け継がれていったんです。


南部諸民族アクスムの女性の多くは、額に十字架を入れ墨しています。
エチオピア北部はこの様に宗教色が強いですが、
南部は一変して少数民族のエリアになります。
下唇にお皿をはめたムルシ族は有名ですね。
エチオピアを南北に移動していると、別の国を旅行しているようで二度楽しめます。

右の写真はエチオピアの南部諸民族州で、
イギリスのNGOが開催したイベントの一幕です。

エチオピアには80を超える部族がいるのですが、その代表団を集めてお祭を開催し、祭のプログラムの一つとしてHIVの予防接種を行っているんです。

部族間で諍いが起きることもありますが、お祭では壁は存在しません。
多くの部族の音楽や踊り、衣装や料理等の伝統文化に触れることができ、貴重な経験ができました。
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プレステ・ジョアンの国

アクスム石柱群

エチオピアの首都アディスアベバからバスで4日…。まさに陸の孤島です。
アクスムは、かつてのシバ王国であり、大航海時代にはポルトガルから、伝説のキリスト教国プレステ・ジョアンの国と信じられた場所でもありました。

アクスム石柱群プレステ・ジョアンは想像上の人物で、ポルトガル語で司祭ヨハネを意味します。
東方にあるキリスト教国の王で、キリストが誕生した際、東方から駆けつけた三博士の末裔であると言われています。

十字軍がイスラム勢力との戦いで苦戦する中、このプレステ・ジョアンからローマ皇帝に、『聖地エルサレム奪回の意志がある』という旨の手紙が届いたとの噂が広まり、この伝説がヨーロッパに浸透するようになりました。

東方から援軍が来れば、イスラム勢力を挟撃できます。
しかも、その援軍は伝説のキリスト教国な訳ですから、この風聞で十字軍の士気はさぞ上がったことでしょう。
日本の幕末に、天から御札が降ってきたという噂で興った『ええじゃないか』も、尊皇派が神道の御札を使い先導したとの見方がありますが、
プレステ・ジョアンの手紙も、これと同様に意図的に広められたような気がします。


当初、プレステ・ジョアンの国はモンゴル帝国であると考えられていました。
これは、モンゴルが遠征の際に吸収した遊牧民族の中に、ローマ帝国により追放されたキリスト教の異端ネストリウス派が含まれていた為です。
(この時、モンゴル軍を指揮したのが、『遊牧民族の西進』というクエストで語られているチンギス・ハンの孫バトゥです。)
しかしモンゴルは、キリスト教圏の東欧諸国にまで攻撃を始め、この説は立ち消え、
後の時代に、アクスム王国がプレステ・ジョアンの国と考えられるようになりました。


エチオピアには、古代イスラエルのソロモン王と、シバの女王マケダの間に生まれた
メネリク1世が、『十戒』を納めた『契約の箱』をエルサレムから持ち帰ったという言い伝えがあり、エチオピア正教では『契約の箱』が信仰の対象になっています。

3世紀頃、コプト教(エジプトで興った原始キリスト教)が伝わってきたことによって興ったエチオピア正教ですが、こういった背景からユダヤ教の影響が色濃く残っています。

ポルトガルが信じたプレステ・ジョアンの国でしたが、エチオピアは古代イスラエル王家の末裔を称しており、これを否定したと言います。


ラリベラの岩窟教会群アクスム王国が衰退した後、エチオピア正教の中心地は、アクスムの南にあるラリベラへと移行します。

ラリベラには、巨大な一枚岩をくりぬいた石窟教会群があり、洞窟の中で、ミイラになるまで聖書を読み続ける修道士が、現在でもいるんですよ。

イスラム勢力により、聖地エルサレムへの巡礼ができなくなったエチオピア正教徒は、このラリベラを第二のエルサレムにしようと考えました。
その為、ラリベラには、エルサレムにある地名と同名の場所が多く存在しています。

エチオピアン・クリスマスには、各地から徒歩で巡礼者が集まり、中には数百kmの道程を歩いてくる巡礼者もいるそうです。


イスラム勢力の強いアフリカ北東部において、エチオピア正教が生き残れたのには理由があります。
イスラム教の開祖ムハンマドがアラビア半島で弾圧をうけた際、この地に逃れ、時のアクスム王より、宗教の壁を越えた庇護をうけたのです。
ムハンマドは、この地を聖戦(ジハード)の対象から外すと定めたと言われています。


エチオピアのバスの座席は、右側2列、左側3列のベンチシートで、かなり窮屈です。
悪路に酔って嘔吐する人が多いのですが、悪霊が入ってくると信じられており、窓を開けるのはNG。
当然、揺れの少ない前寄りの座席は、奪い合いになります。
長距離バスは大抵、早朝6時発なのですが、5時頃から並ばないと良い席を確保できません。

車内では、チャットという合法のソフトドラッグやサトウキビをかじる人が多く、
夕方頃になると、チャットとサトウキビのカスで、床が埋め尽くされてしまいます。
途上国では、ゴミは自然に還る物ばかりなので、ゴミ箱に捨てるという習慣がないんですね。
(最近ではプラスチック製品が増えてきて、ポイ捨てが問題になっています。)
チャットをやっているドライバーもいましたが、お前はやるな!

アクスムまではキツイ道程でしたが、それも旅行の醍醐味ですね。
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連続クエスト

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