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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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水位計測器の地図

ナイロメーター

ナイロメーター写真は、ナイル川上流のアギルキア島にあるイシス神殿のナイロメーター。
古代エジプト・プトレマイオス朝(約2300〜2000年前)に作られた物です。
元々はフィラエ島にあった遺跡でしたが、アスワン・ダムの建造により一部が水没してしまい、アスワン・ハイ・ダムの建造を機に、アメリカの資金援助により移築されました。

写真ではわかりづらいですが、遺跡から地下へ階段が伸び、ナイル川に通じています。
侵食により消えてしまっていますが、かつては壁面に目盛りが彫られていました。


イシス神殿とアスワン・ダム後期に造られた物は形状が違い、ドーム状の建物の柱に目盛りが彫られています。

ダムの建造により洪水は無くなりましたが、現在でも水位観測には使用されているそうです。

観光地にある古代のナイロメーターには、
目盛りの数字が現代のアラビア語になっている物があるようです。
観光客寄せにレリーフを作り直したんでしょうね。^^;


日本では、算用数字のことをアラビア数字と言いますが、実は間違い。
アラビア語にはアラビア文字の数字があるのです。
アラビア語は右から左に書きますが、数字だけは左から右に書きます。
数字と単位とで書く方向が違うので、道路標識を読む時には注意が必要です。
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書きかけの地図 - ナイル川

ナイル川

世界最長の川と思われていたナイル川ですが、アマゾン川に新しい源流が見つかり、
現在では逆転されてしまったそうです。
ナイル川は、上流で白ナイルと青ナイルに分岐しており、白ナイルはウガンダのヴィクトリア湖、青ナイルはエチオピアのタナ湖を水源としています。


ナイル川写真は、ナイル川と伝統船のフルーカ。
ルクソールやアスワンでは、観光用に現代の素材で造られた船体のフルーカがあり、
個人旅行の場合は、交渉しないとぼったくられますが、乗せてもらうことができます。

拡張パックの発表会で、GVOのプロデューサーが、この船に乗ったことがあると言っていましたが、船種をダウと勘違いしていましたね。^^;


ナイル川流域砂漠の国エジプトですが、ナイル川の氾濫により肥沃な黒土が下流に運ばれ、ナイル川流域は稲作に適した土地になりました。

エジプト米は、日本米やカリフォルニア米と同じ短粒種ですが、残念ながら、少しパサパサしていました。


ナイル川流域は運河が発達していて、スエズ運河とナイル川を結ぶ運河もあります。
また、アスワン・ハイ・ダムから、遥か西方のリビア砂漠に運河をひく緑化事業も進行中です。(トシュカ・プロジェクト。ムバラク大統領のピラミッドとも言われる。)
実はスエズ運河と同じく、この運河も古代エジプトの時代に存在していたそうです。

アスワン・ハイ・ダムアスワン・ハイ・ダムは、ドイツとソビエト連邦の協力によって1970年に完成しました。

これは、毎夏おこるナイル川の氾濫をコントロールし、農業用水の安定化に加え、水力発電まで行えるという、アスワン・ダムでの不足を補う夢のプロジェクトだったんです。

これによって全長500km、琵琶湖の7.5倍の面積を誇る人口湖ナセル湖(当時のエジプト大統領で、アスワン・ハイ・ダムの建設をすすめたナセル大統領の名前が由来)が誕生しました。
ダムの完成で洪水は無くなりましたが、その反面、土壌に塩分が溜まるようになり塩害が発生しました。
土地は痩せる一方で、その為に化学肥料が必要になりましたが、肥料作りに必要な電力が、ダムの発電量を上回るという皮肉な結果になりました。
また、塩害は遺跡群にも深刻な被害を及ぼしています。

さらに、晴天率100%だったこの地域に、雲が発生し、降雨も観測されるなど、気候にまで影響を及ぼしています。
公益事業は素晴しいことですが、人間がどこまで自然に手を加えていいものか?
トシュカ・プロジェクトが裏目に出ないことを祈ります。
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古代エジプトの信仰

太陽の船

クフ王のピラミッド脇から出土した、現存する世界最古の船です。

太陽の船とは、太陽神ラーや死後のファラオを乗せて運ぶ船のことで、古代エジプトのいくつかの遺跡では、この太陽の船のレリーフを見ることができます。
しかし、ピラミッドが建設された古王国時代の遺跡からは見つかっておらず、一般的には、クフ王の船と呼ばれています。


この船は、石の坑に石の蓋をされた状態で発見され、
その中に、船の状態ではなく、それをバラした木片として納められていました。
木片同士は、接合する場所にヒエラティック文字が付られていましたが、
復元するのには、14年もの歳月がかかったそうです。


クフ王の船現在、この船は、坑の上に建てられた博物館に展示されています。
博物館の中では、実際の船坑も見ることができるのですが、
ピラミッドのすぐ側に、このような建物を建てるのは、いくらなんでも無粋すぎます。

付近には、同時にもう一つ船坑が発見され、こちらは地中に残されていたのですが、
この博物館からの排水が流れ込んで、一部の木片が腐食してきた為、
こちらも発掘、復元することになったそうです。
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神か怪物か

ギザのスフィンクス

ギザ台地では、夜になると『音と光のショー』というイベントが行われ、スフィンクスがライトアップされます。
観光客には人気ですが、文化遺産を使って、こんな茶番を行うとは、やはり、観光開発が進んでしまった所は好きにはなれません。

有名な観光地では、性質の悪い旅行者も多くなります。
ピラミッドに登る人、落書きをする人、立小便をかける人までいて、酷かったです。
エジプトの遺跡の入場料は高額ですが、それを有効活用して、遺跡の保護に力を入れて欲しいものです。


ギザのスフィンクススフィンクスは、これ一体だけだと思われがちですが、実は、エジプト国内にはかなりの数のスフィンクス像があります。

また、古代エジプトと覇権を競ったヒッタイトの遺跡からも出土していますし、後の時代に古代ギリシャにも伝わっています。

しかし、ギザのスフィンクスは、数あるスフィンクス像の中でも、間違いなく最大でしょう。

かつてのスフィンクスには、ファラオと同じような顎鬚が付いていましたが、現在のスフィンクスにはありません。
イギリスに持ち去られ、大英博物館に保管されているんです。

現在、ギザのスフィンクスは、アスワン・ハイ・ダムの影響で、塩害に曝されています。
下手に修復すると別物になってしまうので、同じ石灰質の砂を濡らしてスフィンクスに塗ることで、浸食した箇所を補っているそうです。
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ギザのピラミッドの調査

ギザのピラミッド

今更、説明するまでもないギザのピラミッド。
これらが建造されたのは、古代エジプトでも初期の約4500年程前。古王国時代です。
古代人は、我々が考えるよりもずっと優れた知恵を持っていたんですね。


ギザのピラミッドギザといえば、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3大ピラミッドとスフィンクスが有名ですが、
周囲には王妃のピラミッドと呼ばれる小型のピラミッド群や、墳墓群もあるんですよ。

クフ王のピラミッドは中腹に入口がありますが、カフラー王のピラミッドは外部から地下に続く入口があり、
中の構造もピラミッドによって様々です。

最大のピラミッドはクフ王の物ですが、頂上部分が崩れており、現状ではカフラー王の方が高くなっています。
カフラー王のピラミッドは上部に化粧石が残っているので、GVOのピラミッドはカフラー王の物ということになりますね。

メンカウラー王のピラミッドから、ギザ台地を南に30分程進むと、キザの全てのピラミッドを一望できる場所があり、お勧めです。
ここまで来ると他に観光客もいないので、浸れますよー。


階段ピラミッドギザから20km程南のサッカーラやダフシュールには、階段ピラミッドや屈折ピラミッド等があります。
これらは、ギザのピラミッドの試作版だったと言われています。

大きさはギザのピラミッドに劣りますが、
化粧石が多く残っている屈折ピラミッドは超キレイでした。


屈折ピラミッドこれらのピラミッドへはアクセスが悪く、個人旅行で行くのは少し大変。
でも、この辺りの人達は親切で、歩いている人がいると、車に相乗りさせてくれる習慣があるんです。
日本でも、移動手段を持たないお年寄りを、地域ぐるみで助け合う仕組みのある地域がありますが、途上国では当然のように行われているんですね。
この日は、炎天下を長時間歩いて、体力も限界だったので助かりました。


考古学者の多くは、一部の証拠だけを取り上げて、さも自説を真実のように語ります。
でも、他の証拠とすり合わせようとすると、どの説も矛盾だらけなんですよね。

全く証拠が無いのにもかかわらず、ピラミッドの建築方法を断定して語っている方もいましたが、
その内容が、秦始皇帝陵の建築方法と同じものだったなんてお粗末なこともありました…。

結果や名声を求めるあまり、こうなってしまうのでしょうか?
自説を斬新なものにする為に、あえて通説を否定する方もいますし、無理のある新説を打ち立てる方もいます。
それが報道され、間違った認識が植え付けられてしまっている人も多いのではないでしょうか。

夢のある説を発表して、考古学に関心を持つ人を増やしたという点においては評価できるのかもしれませんが、歴史が捻じ曲がって伝わってしまうのは困ったものです…。
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