Plvs Vltra

大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
<< April | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

トロイ

トロイ考古学地区

トロイ考古学地区は、アジアとヨーロッパを別つ二つの海峡のうち、ダーダネルス海峡の小アジア側(アナトリア半島)に面した場所にあります。
対岸のゲリボルは、オスマントルコの航海者ピリー・レイスの生誕地。
海峡は狭い所では1km程度の幅しかなく、渡し舟が頻繁に行き来しています。


トロイ考古学地区エーゲ海一帯では、トロイやクノッソスなど、4000〜4500年前の遺跡が見つかっており、古くから、この地域に高度な文明が栄えていたことが判ります。

トロイ考古学地区は、年代毎に層状になっているのが特徴。
遷都を行わず、既存の都市の上に、新たな都市を建増ししていったのです。

遺跡は年代別に、第1市〜9市と呼ばれており、映画トロイに出てくるような城砦は第2市の時代の物。
後期にはヘレニズムの影響を受けていたようで、列柱や円形劇場が出土しています。


トロイ考古学地区(第2市)トロイは、古代ギリシャの詩人、ホメロスの叙事詩『イリアス』に登場する、空想上の都市だと考えられていました。
それを、幼少期より実在すると信じ続けた、ドイツ商人のハインリッヒ・シュリーマンが発見したのは、有名な話です。

しかし、実はこれ、シュリーマンが後に自書で語ったもので、かなり美化されています。

神話や伝説は、史実に創作を加えて創られていることが多々あり、例えば日本の神話にも、実在する地名が多く出てきます。
この時代、既にトロイは、実在すると考えられていたようです。
トロイ発掘は、自尊心の強いシュリーマンが、別れた元妻を見返す為であったというのが真相のようです。

考古学について素人であったシュリーマンは、発掘作業にダイナマイトを使用して遺跡を破壊したり、また出土品を私物化する等、数々の問題行動を起こしています。
しかし、考古学の黎明期だったこともあり、賛否両論あるようです。
comments (0) | trackbacks (0) | 史跡

未開の土地の妙なもの

フマナ平原

リマから500km程南にある、200平方kmに渡る、砂漠地帯の大平原です。
この平原に、紀元前100〜紀元700年にかけて栄えたナスカ文化の遺物、ナスカの地上絵が存在します。


地上絵は、1930年代に、付近を飛行する航空機から度々、目撃されており、
その情報を元に、考古学者ポール・コソックによって調査が行なわれました。

しかし、地上絵の発見と前後して、北南米を縦断する道路、パンアメリカン・ハイウェイの建設が進んでおり、なんと、この道路が、地上絵の上に造られてしまいました。
危機にさらされた地上絵でしたが、ポール・コソックの研究を引き継いだ、マリア・ライヘ女史による呼びかけで、しだいに保護の声が高まり、地上絵の描かれているエリアへは立ち入り禁止となりました。
現在では、パンアメリカン・ハイウェイの路肩に建てられた、ミラドールという櫓から、平原へ立ち入ることなく、地上絵を見ることができます。


ナスカの地上絵地上絵の線は、幅30cm、深さ10cm程で、
車のわだち程度しかありません。
ナスカの大地は、白色の土の上を、太陽に焼かれた黒い石が覆っています。
その為、地表の黒い石を少し掘るだけで、白い線がくっきりと浮き出すのです。

この地域は降雨量が極端に少なく、
地上絵は、現代まで残ることができました。
しかし、山間部で降った大雨が洪水となって流れ込むことがあり、いくつかの地上絵は消えてしまっています。
以前の航空写真と比べると、地上絵は年々、確実に薄くなっていることがわかります。


有名な、一筆描きで描かれた動植物の地上絵は30個程あり、小さい物は約10m、大きな物になると300mを超えるそうです。
その周囲には、おびただしい数の幾何学模様も描かれており、中には、長さ15kmに及ぶ直線まであります。

この規模になると成層圏からでないと確認できず、その為、宇宙人が描いたという説まで唱えられました。
古代人に、優れた技術は無かったという思い込みで、一昔前は、エジプトのピラミッドにも宇宙人建造説がありましたね…。
しかし、無数の幾何学模様を目の当たりにすると、本当に宇宙人が描いたんじゃないかとさえ思えてきます。

現在、地上絵は、拡大法によって描かれたと考えられています。
これは、小さな絵の中心に杭を打ち、ロープで等倍する距離を測り、拡大した絵を描くというものです。
平原では、測量に使われたとみられる木杭も発見されているそうです。


ナスカの地上絵地上絵の目的については、これまでに、暦説、蜃気楼の水の貯水路説、気球で空から鑑賞していた説などがありました。

しかし、残念ながら、暦と幾何学模様は一致しておらず、また、ナスカでは蜃気楼も殆ど発生せず、
気球にいたっては、ナスカの繊維と土器で作成可能だったと検証されましたが、痕跡は何一つみつかっていません…。

地上絵の上で、雨乞いの儀式を行なった跡がみつかっており、現在では、儀式に使われたというのが、最も有力となっています。


2006年には、ナスカの北西に位置するナスカ台地に、新たな地上絵が発見されました。
後光が射した人の絵や、触覚のある人の絵などが、およそ100個。
これらは、従来の地上絵とは違い、一筆画きにはなっていません。
また、平原ではなく、台地の斜面に描かれており、地上からも確認することができます。

台地の頂上付近の岩場には、これと同じ絵の壁画も発見されました。
これらを調査した考古学チームによると、頂上付近では、神官によって宗教儀式が行なわれており、この儀式に使われた絵を、民にも見えるように拡大して、斜面に描いた物が、この地上絵なのだそうです。

これらの地上絵は、ナスカの地上絵よりも、100年程前に描かれていたそうで、ナスカの地上絵は、これらが変化した物なのかもしれませんね。


フマナ平原より、1000km程南のチリ北部にも、多くの地上絵が存在しています。
『奇妙な絵』というクエストの発見物にもなっていますね。
これらの地上絵は、目標物の無いアンデス山脈の荒野で、道標として斜面に描かれた物ではないかと考えられています。


ナスカ周辺には、墓や地下水路などの遺跡も多く見つかっています。
盗掘被害にあっており、状態は良くありませんが、墓からは、多くのミイラが発見されました。

いくつかのミイラの頭部には、長期間に渡って圧力をかけることで出来た変形が見られました。
ナスカ文化では、身分の高い人物、もしくは神官などが、神秘性を高める為に、頭の形を変形させるという習慣があったようです。
もしかしたら、タイの首長族のように、独特の美的感覚があったのかもしれませんね。

また、これとは別に、頭蓋骨に穴の開いたミイラも、いくつか見つかっています。
発見当初は、これが死因と考えられていましたが、後の調査により、
穴が開いた後も、それを塞ぐように骨が成長していたことがわかりました。
当時の戦は、スリング(投石器)や棍棒などの鈍器を武器としていた為、頭蓋骨内部に出血を起こすことが多かったようです。
頭蓋骨に開けられた穴は、これを取り除く医療行為だったのです。
comments (0) | trackbacks (0) | 史跡

砂漠の向こうの聖地

ウルル

地球のヘソ、世界最大級の一枚岩エアーズロック。
オーストラリアの先住民アボリジニの言葉でウルル(偉大な岩)と言います。
夕陽に照らされると、赤く染まったように見えることから、『赤い心臓』とも呼ばれます。

ウルルには、アボリジニの描いた古代の岩絵の残る洞窟がいくつかあり、文化・自然の両方を満たした複合遺産に指定されています。
このことから、GVOでも史跡に分類されたのでしょう。


ウルルちょうど年末年始に滞在したので、ウルルの頂上から初日の出を拝んでみました。

遮る物が無い為、朝陽を浴びたウルルの影は、反対側の地平線まで伸びます。
さらに、陽光の反射で、ブッシュにかかった朝靄がオレンジ色の海のように輝き、ウルルはその中に浮かぶ浮遊大陸のようでした。


ウルルは、地中に埋まっている部分が大半を占めると言われています。
気温が40度を超える中、10km近い外周を歩いてみましたが、風化によって崩れた岩が周囲にいくつかありました。
その形状から、元々、ウルルは台形ではなく、もっと丸みを帯びていたことが想像できました。岩の一部だけが地上に顔を出しているのだとすれば、納得できる形です。

にわかには信じがたい話ですが、かつて、この地には、山脈が存在したそうです。
その山脈が形成した扇状地が、やがて浸食していった山脈の土砂に覆われて堆積岩となり、その一部が地表に隆起した物がウルルなのだそうです。


カタジュタウルルの西32kmには、マウント・オルガ
(アボリジニの言葉で『多くの頭』を意味するカタジュタ)と呼ばれる36個の巨大な岩石群があるのですが、
これらは、地中でウルルと繋がっていると
考えられています。

こちらは岩質が荒く、一枚岩と呼んでいいかは疑問です。
岩質が荒いのは、扇状地でも、より上流に位置していたからなのだそうです。


最大級というコピーが気になりますが、実は、世界最大の一枚岩はウルルではなく、
西オーストラリア州の内陸にあるマウント・オーガスタスです。
また、地中を含めるならば、ジンバブエにあるグレート・ダイクの方が遥かに大きいです。
しかし、世界最大でなかったとしても、ウルルの価値は何一つ下がりません。

周囲は全て地平線─。
『恐るべき空白』と言われるその風景の中、ウルルだけが存在している姿は神々しく、
アボリジニが聖地と崇めるのも頷けます。

ウルルの岩肌は、地層に沿って溝状に風化しています。
滅多に見れない光景ですが、大雨が降るとその溝が川となり斜面では滝が現れます。
その滝壺には精霊が宿るとされており、真夏でも、決して枯れることはありません。

ドリームタイムと呼ばれるアボリジニの創世神話によると、精霊達は、全土を歩き大地を創造していきました。
精霊達の歩いた聖なる道は、全てウルルに至っており、大地の創造が終わると、精霊達は岩の中へ入っていったと言われています。

ウルルでは、精霊の意思のようなものが、確かに感じられます。


ウルルは、ハエが多いことでも有名ですが、これは入植者が家畜を持ち込んだことによる弊害です。
普段はおびただしい数のハエですが、なぜか1匹も現れない日があり、いったい何処に潜んでいるのか不思議です。
どうして現れないか、原因はわかっていないそうです。

オーストラリアは空気が乾燥している為、ハエは水分を求めて目や口に集ってきます。
目は開けられないし、食事をすると一緒に飲み込みそうになるし、やっかいな存在です。
comments (0) | trackbacks (0) | 史跡