13.Dec.2009
1545年に銀の鉱脈が発見され、その後、スズや、タングステンが発見されると、
ポトシ銀山は、Cerro Rico(スペイン語で『富の山』の意)と呼ばれるようになりました。
採掘には、インディヘナが強制的に従事させられ、過酷な労働で多くのインディヘナが命を落としました。
現在でも、生活苦から、鉱山で働く人は後を絶ちません。
鉱山での労働は、8時間3交代制で、日当は3ドル程度。
労働者達は、コカの葉の覚醒作用で疲労をごまかしながら働いていますが、粉塵で胸を悪くし、若くして亡くなる方が多いのだそうです。
左の写真は、旧国立造幣局。
1572年に建てられ、1773年に1度、再築されています。
現在では博物館として使用されており、館内には、当時、使用された、銀貨を刻印する機械などが展示されています。
当時、イスパニアの銀貨の多くは、この造幣局で造られていたのだそうです。
やがて、銀の鉱脈が枯れると、スペイン人は、この地を去っていきました。
街は寂れましたが、20世紀初頭に、スズや鉄鉱石の鉱脈が新たに発見され、再び活気を取り戻しつつあります。
日干し煉瓦の伝統的な住居の合間にコロニアル建築が残り、植民地時代の面影を感じることができます。
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