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大航海時代 Onlineの冒険と旅行記
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未開の土地の妙なもの

フマナ平原

リマから500km程南にある、200平方kmに渡る、砂漠地帯の大平原です。
この平原に、紀元前100〜紀元700年にかけて栄えたナスカ文化の遺物、ナスカの地上絵が存在します。


地上絵は、1930年代に、付近を飛行する航空機から度々、目撃されており、
その情報を元に、考古学者ポール・コソックによって調査が行なわれました。

しかし、地上絵の発見と前後して、北南米を縦断する道路、パンアメリカン・ハイウェイの建設が進んでおり、なんと、この道路が、地上絵の上に造られてしまいました。
危機にさらされた地上絵でしたが、ポール・コソックの研究を引き継いだ、マリア・ライヘ女史による呼びかけで、しだいに保護の声が高まり、地上絵の描かれているエリアへは立ち入り禁止となりました。
現在では、パンアメリカン・ハイウェイの路肩に建てられた、ミラドールという櫓から、平原へ立ち入ることなく、地上絵を見ることができます。


ナスカの地上絵地上絵の線は、幅30cm、深さ10cm程で、
車のわだち程度しかありません。
ナスカの大地は、白色の土の上を、太陽に焼かれた黒い石が覆っています。
その為、地表の黒い石を少し掘るだけで、白い線がくっきりと浮き出すのです。

この地域は降雨量が極端に少なく、
地上絵は、現代まで残ることができました。
しかし、山間部で降った大雨が洪水となって流れ込むことがあり、いくつかの地上絵は消えてしまっています。
以前の航空写真と比べると、地上絵は年々、確実に薄くなっていることがわかります。


有名な、一筆描きで描かれた動植物の地上絵は30個程あり、小さい物は約10m、大きな物になると300mを超えるそうです。
その周囲には、おびただしい数の幾何学模様も描かれており、中には、長さ15kmに及ぶ直線まであります。

この規模になると成層圏からでないと確認できず、その為、宇宙人が描いたという説まで唱えられました。
古代人に、優れた技術は無かったという思い込みで、一昔前は、エジプトのピラミッドにも宇宙人建造説がありましたね…。
しかし、無数の幾何学模様を目の当たりにすると、本当に宇宙人が描いたんじゃないかとさえ思えてきます。

現在、地上絵は、拡大法によって描かれたと考えられています。
これは、小さな絵の中心に杭を打ち、ロープで等倍する距離を測り、拡大した絵を描くというものです。
平原では、測量に使われたとみられる木杭も発見されているそうです。


ナスカの地上絵地上絵の目的については、これまでに、暦説、蜃気楼の水の貯水路説、気球で空から鑑賞していた説などがありました。

しかし、残念ながら、暦と幾何学模様は一致しておらず、また、ナスカでは蜃気楼も殆ど発生せず、
気球にいたっては、ナスカの繊維と土器で作成可能だったと検証されましたが、痕跡は何一つみつかっていません…。

地上絵の上で、雨乞いの儀式を行なった跡がみつかっており、現在では、儀式に使われたというのが、最も有力となっています。


2006年には、ナスカの北西に位置するナスカ台地に、新たな地上絵が発見されました。
後光が射した人の絵や、触覚のある人の絵などが、およそ100個。
これらは、従来の地上絵とは違い、一筆画きにはなっていません。
また、平原ではなく、台地の斜面に描かれており、地上からも確認することができます。

台地の頂上付近の岩場には、これと同じ絵の壁画も発見されました。
これらを調査した考古学チームによると、頂上付近では、神官によって宗教儀式が行なわれており、この儀式に使われた絵を、民にも見えるように拡大して、斜面に描いた物が、この地上絵なのだそうです。

これらの地上絵は、ナスカの地上絵よりも、100年程前に描かれていたそうで、ナスカの地上絵は、これらが変化した物なのかもしれませんね。


フマナ平原より、1000km程南のチリ北部にも、多くの地上絵が存在しています。
『奇妙な絵』というクエストの発見物にもなっていますね。
これらの地上絵は、目標物の無いアンデス山脈の荒野で、道標として斜面に描かれた物ではないかと考えられています。


ナスカ周辺には、墓や地下水路などの遺跡も多く見つかっています。
盗掘被害にあっており、状態は良くありませんが、墓からは、多くのミイラが発見されました。

いくつかのミイラの頭部には、長期間に渡って圧力をかけることで出来た変形が見られました。
ナスカ文化では、身分の高い人物、もしくは神官などが、神秘性を高める為に、頭の形を変形させるという習慣があったようです。
もしかしたら、タイの首長族のように、独特の美的感覚があったのかもしれませんね。

また、これとは別に、頭蓋骨に穴の開いたミイラも、いくつか見つかっています。
発見当初は、これが死因と考えられていましたが、後の調査により、
穴が開いた後も、それを塞ぐように骨が成長していたことがわかりました。
当時の戦は、スリング(投石器)や棍棒などの鈍器を武器としていた為、頭蓋骨内部に出血を起こすことが多かったようです。
頭蓋骨に開けられた穴は、これを取り除く医療行為だったのです。
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